ダルタニャンが故郷に象を連れ帰ってから、どの位たつのだろう?
「すぐ帰ってくるよ」
そう澄んだ太陽な笑顔を残して、彼は旅立った。
ガスコーニュ………。
このパリから遠く離れた地。
田舎者の大群が住んでいる、ワインだけが取りえの、良く言えばのどかなー本当の所を言うと何もない、僻地。
そんな所が、私の大切な人の故郷。
生まれも育ちも、この大都会パリで、『故郷(イナカ)』なんてピンとこないーそれが私。
文明の微塵も感じられない、香水のかわりに牛糞の匂いが充満するーそれが彼の故郷。
―耐えられるだろうか?私に?
ぎゅ、と唇をかむ。
「どうしたのです?コンスタンス?」
「あ!すみません、王妃様!!御髪を整えている最中に……!」
「ふふ…いいのですよ…。あなたの愛しい人が、こんなにも長い間留守なのですものね」
茶目っ気たっぷりに、獲物を見つけた鷹のような目でこちらを振り返る。
―!しまった!
今日の鬱憤晴らしは私に決定?!!
周りをみると、他の侍女たちはそそくさと部屋を後にする。
「そういえば……貴女もここを去ってしまうのかしら?…寂しくなるわ…」
「ど・どうしてでございますか?王妃さま??」
「あら?だってダルタニャンと結婚して、彼の故郷に住むのでしょう?」
ばきーと小さく、掌の中の櫛が音をたてる。
「そんな!彼はまだまだ子供ですわ!それに、私たち、そんな関係じゃ―」
「嘘つき」
即答。
電光石火の即答だった。
いつもの、のんびりおっとりとした王妃様からは伺えない。
「何もない訳、ないじゃない?さ。正直におっしゃい、コンスタンス」
「―正直も何も………本当に王妃様の耳に入れるようなことは、何もございません!」
「ふふふ。嘘が下手ねぇ。そうね………せいぜい●。×。◆▼止まりかしら??」
―するどいっ!
流石、ゴシップの事になると、違うわ………・。
唯一の王妃様の(嫌な)楽しみなのだから、力の入れ具合も違うーということか?
「ガスコーニュ…だったかしら?その時には美味しいワインでも送って頂戴ね」
「……いえ、だって…彼は銃士ですもの……このパリで陛下にお仕えするのが仕事ですわ」
「でも…象って……すごい食欲なのよね……。結局見せるだけで、帰ってきたら……どうする?コンスタンス?」
眩暈がした。
ただでさえ、居候を決め込んで家賃もままならない、ダルタニャンのことだ。悪く言えばヒモ。
その彼が、あの象を連れて帰ってくる。
私は本気で象を呪い殺そうと思った。
このままじゃ…いけない。うちは壊れてしまう。象によって……。
嫌だわ!そんな末路!!!パリ新聞の一面記事の見出しまで浮んでくる。
『パリ1の仕立て屋。象で餓死。』
ぶんぶん、と首を振って悪い考えを頭から追い出す。
あの干草の量。
陛下がオプションで下さったものだから、まかなえたけれど……アレに南国の珍しいフルーツとか林檎とか…。
思い切って見世物にする?
いや、それも人手がたりない。
今、このパリにジャンがいないのが、惜しい。
仕立て屋には力仕事もいらないし、男手も間に合ってる。
「どうしたの?コンスタンス?手が止まっていてよ?」
―そうさせたのはおのれじゃ!
この言葉をようやく飲み込んで、謝罪を代わりに口にし、そそくさと髪を整えた。
いつも自分がやっておいて何だけれども……謎な髪型だわ……。
普段の下ろしたままの姿のほうが何倍も美しいと思うのは、私たち侍女仲間の意見だ。
もちろん、そんなの王妃様の耳にいれるわけにもいかず、黙々とただ髪をセットしている。
「お待たせいたしました、王妃様。」
「ありがとう、コンスタンス。―今日はもう自宅に戻りなさい。多分、今日辺り着くのじゃないかしら?あと3時間ーという所ね」
「…え?」
「他の3人に奪われないように、しっかり戸締りをしておくのですよ。」
有無をいわさない笑顔を浮かべ、王妃様はお宿下がりを私に命じた。
……そんな所まで、スパイはってんなよ……。
そんな想いを胸に、私は王宮を後にした。
■□■□
「良かった……いない………」
真っ先に向かったのは馬小屋。
灰色の大きな物体を探し、胸をなでおろす。
いえ!まだ安心はできないわ!
ダルタニャンの愛馬、黄色いロバみたいなロシナンテの姿もない。
まだ帰ってきてない証拠だ。
私は鍬を手に、馬小屋の掃除をする。
湿気を吸ってない、新しい干草。
新鮮な水をバケツに汲み、おく。
ブラシを壁に掛け、木枠の埃を叩き落とし、拭く。
これで完成!
『コンスタンス…僕のいない間も……っ!!(感涙)』
作戦は成功まちがいなしだ!
さあって、次は……。
家の中からはマルトが作る美味しいソテーの匂いがする。
ー私も作らなければ。
特製シチュー…といえば聞こえがいいが、自信を持って作れるのはスープと丸焼きだけだ。(参照:アニメ三銃士本編)
サラダも簡単だし、作ろう。
綺麗に盛り付ければ、見栄えもいいし。
ここまできて、ふと、嫌な予感がした。
奴らを連れてきたらどうしようーと。
言わずと知れた三銃士。
パリのアイドル。
ダルタニャンの金魚の糞。
特にあの大喰らいの大男。
奴がきた日には、食材は全滅する。
しばらくはパンとバターのみですごさなければならない。
いつか彼が『ケチなボナシューにしては張り切った』ーなんていってたけど……あれって…うちの10日分の食費を全てつぎ込んだのだ。
それを『張り切った』の一言なんて………っ!!!!!
ヒゲの男は馬鹿みたいに高い酒ばかり飲むし、しかも量が半端じゃない。
金髪の方はまだ、まし。−ただ味に異様に煩い。妙に肉食をさけてるので、結果、私の料理に集中する。これも気が抜けない。
何となく、彼には負けてはならないーと遺伝子が言っているのだ。
負けてはダメ。勝たなくては。そうしなければ、何かの座が危ういーと警告をならしている。
下手したら、ダルタニャンを持ってかれるーそんな考えまでがよぎる。
一番の強敵は………アラミスさまかも………。
どうして、バスティーユの時助ける手助けをしてしまったんだろうーと今更ながら悔やんでる。
彼氏を男に取られたーなんて、恥ずかしくて生きていけない。
ーない話ではないのだ。
ダルタニャンを見る、異様にまで優しい目つき。
そしてダルタニャンも、温か気な表情をしているのは…気のせい??
ダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムダムッ!
光速で野菜を刻む。
まな板までが、ちょっぴり切れたのは、ご愛嬌だ。
全ての料理が完成した頃、王妃様の言っていた時刻になる。
ーと、外でひづめの音がした。
(−すげぇ!)
王妃様の情報網に感心する。
心を落ち着かせて、耳を澄ます。
地響きも鳴き声も、しない。
他人の話し声も聞こえない。
『お疲れ様、ロシナンテ。』
彼の声だけが聞こえた!
「ダルタニャン!!!!!」
とるものもとらず、裏口に回る。
ドレスの裾がもどかしい。
ああ!おかえりなさい!まっていたのよ!
そう叫びたい気持ちを抑え、裏口の扉を開く。
「…だ……るたにゃん……」
息が荒く、上手く言葉にできない。
「ただいま!コンスタンス!」
若干日に焼けた、でも出発の時と変わらない笑顔で、彼はそう言葉を紡ぐ。
タダイマ
その言葉が嬉しくって、気が付いたら彼の胸に飛び込んでいた。
「…おかえり…なさい」
ぽろぽろと涙が彼の襟をぬらす。
遠慮がちに片腕を背中に回し、だまって頭を撫でてくれてる、その温もりが、嬉しかった。
夢じゃない、本物の彼。
ぎゅっーと服を握ると、お日様と埃、そして彼の匂いが鼻孔を擽った。
「ほら、嬉しいけれども…離れないと…コンスタンスも汚れちゃうよ?」
ぶんぶん、と頭をふる。
「もっと……こうして…たいのっ」
「そっか……良かった。実は、僕もなんだ」
二人で小さく笑って、見つめあい、そしてー瞳を閉じた。
■□■□
「ダルタニャン、象はどうしたの?皆喜んでた?」
「ああ!見せたかったよ!みんなの顔!!」
子供のように心底嬉しそうに言う。
彼には表も裏もない。
だから、本当に嬉しかったんだと思った。
「最初はさ、村長のところに連れてつれてかれそうになったんだけど……陛下直々だろ?無理強いはできなくって…」
象中心の会話。
それでも楽しい。
ダルタニャンがいるから。
「−で、結局うちで飼う事にしたんだ。幸い、ウチのほうには力仕事なんかもあるし、貸し出しーなんてことを始めてさ、なんとか食費は稼いでるみたいだ。そのうち、近隣の村からも要請が来るんじゃないかな?そしたら、じいちゃんとばあちゃんの暮らしも少しは楽になるし……親孝行ーじゃない、じいちゃん、ばあちゃん孝行ができたよ!」
「−それって…ダルタニャンが考えたの?」
「いいや、実はジャンさ!別れ際に、教えてくれて……それにうちのばあちゃんがちょっとアレンジしたんだ」
やっぱり……ジャンってあなどれない……。
本気で惜しい顔をしていた父さんの気持ちが分かる。
「−で?コンスタンスは?」
「私?私は…変わらない毎日だったわ。王妃様のお相手をして……今日偶然お宿下がりを頂いたの」
「へぇ〜〜!すっごいなあ!!」
「本当ね!」
(…王妃様のスパイって……)
こっそり胸のうちで付け足す。
「ところで……ダルタニャンは…ガスコーニュに戻るの?」
「え?」
「今はいいわ!…いずれ、将来よ………。」
「う〜〜ん。分からないや。僕は銃士だし…今はそれで手一杯だし…」
伸びをしながら答える。
「コンスタンスはさ、ここがいいんだろ?」
ぎくっ!とした。
見透かされてるような気がして、急いで目をそらした。
「僕も、パリは大好きだよ?素敵な友人とも会えたし…君とも会えた。」
「ダルタニャン……」
「でも、生まれ故郷のガスコーニュも好きだって気持ちは変わらないだろうなあ」
「…………………そうよね…」
「だからさ、コンスタンスだって同じ。自分の生まれた街だもの。離れたくないーって思うよね」
さらりーと言いのける。
「まだ、先のことなんて誰にでも分からないんだぜ!それを今から悩んだってしようがないよ。こんな仕事だもん。何時、どうなるか分からない」
「ダルタニャン!!」
「もちろん、僕にはコンスタンスがいる。そう簡単には死なないけれどね」
ウィンクをしながら、そっと顔を近づける。
「−優柔不断で頼りなくって…いい加減に聞こえるかもしれないけれど……僕はまだ先の事は考えなくてもいいと思う。ー君さえ傍にいてくれるなら、どこでも生きていけるさ」
ー年下だけれどね
そう笑って小さな箱を取り出した。
「ずっと…傍にいてくれるかい?」
小さな石のついたリング。
「旅商人から買ったんだ。安物だけれども……君の瞳の色とそっくりな石で……コンスタンス?」
涙が止まらなかった。
ごめんね。ダルタニャン。
私は自分勝手に思ってた。
イナカだからいやだとか、牛糞の匂いに耐えられないとか。
どれもこれも言い訳。
自分にだけたいする言い訳。
彼の気持ち、考えてなかったの。
1人でよがって、悪い面だけに目を向けて、避けてた。
ー君さえ傍にいてくれるなら、どこでも生きていけるさ
そういった彼が眩しかった。
かなわないーって思った。
「…こんな私、傍にいてもいいの?」
「だーかーらー!コンスタンスじゃなきゃダメなの!」
きっと私はものすごく、ブスな顔をしているだろう。
涙で化粧はぐちゃぐちゃになってるし、鼻水でぐずぐずいってるし。
きっと鼻だって赤い。目も真っ赤だろう。
でも、一番綺麗な笑顔を彼に向けれたーそう確信した。
■□■□
「−でさ、今度一緒にガスコーニュに来ないかーってじいちゃんが言ってたんだ」
「え?」
「うん、顔見たいんだって。勿論、ばあちゃんもだけれども…じいちゃん、張り切ってた。なんたってパリジェンヌだしね」
お土産の袋を並べながら、照れ隠しのように言う。
「オレの恋人はフランスで一番可愛いーっていったら、ジョルジュの奴、また嘘ついたってさ。『お前にそんな恋人できっこない!』なんていうんだぜ!」
酷く憤慨した顔で続ける。
「だから、言ってやったんだ。そんなら、今度連れて帰るって。………君がよければだけれども……僕の家族にも紹介したいんだ」
酷く、嬉しかった。
返事の代わりに何度も頷くと、ほころぶような顔を見せた。
「ただ…長期のお休みーとなると……明確にいつーとはいえないの…ごめんなさいね」
「いいよ。僕の方だって同じさ」
鼻歌交じりで荷物の整理を続けるダルタニャンに、お休みのキスをして、部屋を出る。
私は、決心を固めた。
王妃様にお願いしよう。
この際、侍女だなんだといっていられない。
だって…私の未来もかかってるんだもの!
牛糞臭に負けない香水を作って欲しい
これは死活問題だ。
この問題をクリアーしない限り、私はガスコーニュには行けない!
明日一番の謁見はこれだーと心に誓い、遠くない未来に想いを馳せ、私は眠りに就いた。