地名で見る三銃士

  • 現在の地図で確認しているため、三銃士の時代当時とは若干通りの名や場所が違っていることがあります。ご了承ください。
  • 皆様からの情報もお待ちしております〜。
参考地図

拡大地図を表示

第一部 「三銃士」

ダルタニャンの上京銃士たちの住みか銃士たちの行動範囲inパリパリ以外の地名(覚書)ダルタニャン&ボナシュー夫人の辿った経路ボナシュー氏連行経路ダイヤの房飾り追っかけ旅行ラ・ロシェル戦へボナシュー夫人捜索

ダルタニャンの上京(1-1)

  • タルブ【Tarbes】

    ダルタニャンの出身地

    南仏、ガスコーニュの町ですね。スペインとの国境に近いです。

  • マン【Meung】の町(ボージャンシー門【porte de Beaugency】を通る)

    ローシュフォールと出遭う

    ほとんどパリに近いです。オルレアンとブロワの間くらい。

  • フラン・ムーニエ館【Franc-Meunier】

銃士たちの住みか

ダルタニャン
フォッソワイユール街【rue des Fossoyeurs】11番地(1-13)←ボナシューの住所として

現在のセルヴァンドーニ街(当時の地図

(3-6)ではフォッソワイユール街12番地

リュクサンブール宮殿の北西、サン・スュルピス広場の南です。

原作で旧・フォッソワイユール街と現・セルヴァンドーニ街の名前が両方出てしまっているのは、街名が変わったのが1806年で、執筆時の1844年には38年しか経っておらず、デュマがごっちゃにしたらしいです。(こちらの原語版でも『この街の名前に関しては無頓着』と注釈がしてあった)(旨樫いさこさんmerci!)

アトス
フェルー街【rue Férou】(1-7)

これまたサン・スュルピス広場の南です。リュクサンブール界隈に集中してますね、銃士たちの住みかは。

アラミス
シェルシュ・ミディ(シャス・ミディ)街【rue du Cherche-Midi/Chasse-Midi】のそば(1-11)

サン・スュルピス広場の西、ヴィユー・コロンビエ街にぶつかる長い通りです。

カセット街【rue Cassette】と、セルヴァンドーニ街【rue Servandoni】の中間(1-11)

カセット街はヴィユー・コロンビエ街の近く。このセルヴァンドーニ街は、フォッソワイユール街と同じ。

ヴォージラール街【rue de Vaugirard】(2-4)

リュクサンブール宮殿の北から伸びる長〜い通りです。

ポルトス
ヴィユー・コロンビエ街【rue du Vieux-Colombier】(1-7)

サン・スュルピス広場の西。

銃士たちの行動範囲inパリ

  • サン・タントワーヌ門【porte Saint-Antoine】(当時の地図

    ダルタニャンが初めてパリにやってきた時くぐった門(1-1)

    今は残っていませんが、今のバスチーユ広場にありました。(サン・タントワーヌ通りとフォーブル・サン・タントワーヌ通りの境目)

  • リュクサンブール宮殿(の裏)【Palais du Luxembourg】(当時の地図

    ダルタニャンがポルトスと決闘を約束した場所(1-4)

    近くに掌球場がある。(1-6)

    ウィンター卿との決闘場所に指定。(1-30)

    言わずと知れたリュクサンブール宮殿ですね。セーヌ川の南に位置してます。

  • フォッソワイユール街【rue des Fossoyeurs】(当時の地図

    ダルタニャンの下宿先、ボナシュー家がある(1-1)

    上でも述べたとおり、現在のセルヴァンドーニ街。リュクサンブール宮殿の北西、サン・スュルピス広場の南。

  • ヴィユー・コロンビエ街【rue du Vieux-Colombier】(当時の地図

    ダルタニャンの部屋から目と鼻の先(1-1)

    トレビル邸、ポルトスの家がある(1-2、7)

    サン・スュルピス教会の西にあります。

  • サン・トノレ門【porte Saint-Honoré】(当時の地図

    ここでポルトスが金の釣り革をご婦人に買ってもらったのだと噂される(1-2)

    これも、サン・トノレ通りとフォーブル・サン・トノレ通りの境目の辺り、つまりコンコルド広場の北あたりにあったんじゃないかと。パリは当時ここまでしかなかったみたいですよね。

  • フェルー街【rue Férou】(当時の地図

    アトスが肩を負傷した居酒屋がある(1-3)

    アトスの家がある(1-7)

    アトスが立ち廻りをやって、一突き受けたことがある。(1-28)

    サン・スュルピス広場の南ですね。

  • カルム・デショー【Carmes-Deschaux】(当時の地図
    (後のカルム・デショッセ【Carmes déchaussés】僧院)

    ダルタニャンがアトスと決闘を約束した場所(1-4〜6)

    窓のない妙な建物で、周囲は荒涼たる草原であった(1-5)

    カルムの僧院(1-6)

    リュクサンブール宮殿の西、ヴォージラール通りとカセット通りの交差する場所にあったようです。現在、サン・ジョセフ・デ・カルム教会のある辺り。

ダルタニャンの足跡(1-4)

  • セーヌ街【rue de Seine】(当時の地図

    サン・ジェルマン大通りと交差してます。サン・スュルピス広場の東側にあります。

  • エギヨン邸【hôtel d'Aiguillon】(当時の地図)のまえ

    ダルタニャンがアラミスと決闘の約束をする(1-4)

    現在のプチ・リュクサンブール(リュクサンブール宮殿に隣接する館)のことだそうです。三銃士の時代はまだエギヨン邸とは呼ばれていなかったとのこと。(Romiさんmerci!)



  • プレ・オー・クレール【Pré-aux-Clercs】

    [パリ市内の空き地で、むかしよく決闘が行われた](1-5)

    決闘に適当な場所。(1-6)

    現在のアンバリッドの辺り。ちなみにサン・ジェルマン大通りとユニベルシテ通りの間に、通りの名前として残っています。

  • サマリテーヌ(の鐘)【Samaritaine】(当時の地図

    アトスの時間の正確さがこれに例えられる(1-5)

    ダルタニャンがバッキンガム公とボナシュー夫人に遭遇(1-11)

    ポン・ヌフにあった揚水ポンプのことだと思われます。鐘がついていたんだろうか。ちなみに現在ポン・ヌフの北にサマリテーヌというデパートがあります。(現在休業中らしい…)

  • ヴォージラール街【rue de Vaugirard】(当時の地図

    ポルトスが現れる(1-5)

    25番地にシュヴルーズ夫人の隠れ家があった(1-14)

    リュクサンブール宮殿の北から伸びる長〜い通りです。

  • サン・ジェルマンの修道院(のうしろ)【abbaye de Saint Germain】(当時の地図

    決闘に適当な場所(1-6)

    サン・ジェルマンの市へ、ダルタニャンがボナシュー夫人を散歩に連れ出したいと考えた(1-11)

    たぶん、サン・ジェルマン・デ・プレ教会あたりのことだと思います。ちなみにパリ郊外にもサン・ジェルマン(・アン・レー)があります。

  • トゥールネルの橋【pont de la Tournelle】(当時の地図

    プランシェがこの橋の上から唾を吐いて水の上に輪を作っていて、ポルトスにスカウトされる(1-7)

    セーヌ川の真ん中にあるサン・ルイ島の南にかかる橋です。

  • サン・トノレ街【rue Saint-Honoré】(当時の地図

    アラミスがシュヴルーズ夫人に口紅を買うよう言いつかる(1-7)

    ルーヴル美術館の北に伸びる通りですね。

  • バスチーユ監獄(牢獄)【la Bastille】(当時の地図

    ボナシューが恐ろしく思っている。(1-8)

    ボナシュー氏が連れて行かれる(1-10)

    現在のバスチーユ広場のあたり。

  • ジェルザレム街(エルサレム街)

    「ねずみおとし」という隠語(1-10)

    これもどこだろう?

  • サン・ドニの野原【plaine Saint-Denis】(当時の地図

    ダルタニャンがボナシュー夫人を散歩に連れ出したいと考えた(1-11)

    サン・ドニ門のある辺りのことですかね。サン・ドニ市のことなのかどっちですかね。

ダルタニャン&ボナシュー夫人の辿った経路へ(1-10,11)


  • フォール・レヴェックの監獄【Fort-l'Evêque】(当時の地図

    アトスがダルタニャンと間違われ連れて行かれた(1-11)

    現在のポン・ヌフ駅とシャトレ駅の間、サン・ジェルマン・ロクセロワ通りとメジスリー通り(河岸)の間に位置していた牢獄で、放蕩三昧の名門の子弟、軽犯罪を犯した役者、封印状に基づき拘束される者や借財のため投獄される者が閉じ込められたそうです。(Romiさんmerci!)

ボナシュー氏連行経路へ(1-13,14)


  • ラ・アルプ街【rue de La Harpe】(当時の地図

    75番地にバッキンガム公の隠れ家があった(1-14)

    リュクサンブール公園のそば(1-16)

    シテ島の南にかかるサン・ミッシェル橋のちょっと南あたり。

  • クロワ・ルージュ【la Croix-Rouge】(当時の地図

    トレヴィルが訪ねた警視総監が、この地区の警察署長を呼ぶ。(1-15)

    ヴィユー・コロンビエ街の西の交差点に名前が残ってます。(別名赤十字広場)

  • バック街【rue du Bac】(当時の地図

    ボナシューがわめきながら行ってしまったところ(1-18)

    ダルタニャンが黄色い馬を引いたムースクトンと会う(2-4)

    ルーヴルの南にあるロワイヤル橋から南に伸びた道。サン・ジェルマン大通りと交差してます。

ダイヤの房飾り追っかけ旅行へ(1-20,21)


  • 市役所【hôtel de ville】

    舞踏会が開かれる(1-22)

    シテ島の北、パリ市庁舎ですね。

  • サン・ジャン教会【église Saint-Jean】(当時の地図

    大時計がある(1-22)

    なくなっちゃったっぽくて見つからないんですよね〜。市庁舎の近くらしいんですが。※市庁舎のまさに真裏に隣接していたそうです。現在のサン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会と市庁舎の間です。(Romiさんmerci!)

  • サン・クルー【Saint-Cloud】

    デストレ邸の角の離れ家でボナシュー夫人と待ち合わせ(1-23)

    パリの西にあるブローニュの森の南端あたり。

ボナシュー夫人との待ち合わせへ(1-24)

  • コンフェランス門【porte de la Conférence】

    チュイルリー庭園のセーヌ沿いのあたりにあったようです。現在はコンフェランス港という地名がちょっと離れたとこに残ってます。

  • サン・クルー【Saint-Cloud】

    パリの西にあるブローニュの森の南端あたり。



  • サン・マンデ【Saint-Mandé】

    サン・クルーとは正反対の方向(1-25)

    ボナシューが女中を探しに行ったと言うところ(1-25)

    パリの東にあるヴァンセンヌの森の北のあたり。

  • 新王宮【Palais-Royal】(当時の地図

    【リシュリューが建てさせ、死後、王室に寄贈した建物】(1-25)

    ルーヴル宮殿の北。

  • ウールス街【rue aux ours】(当時の地図

    コクナール夫人が住んでいる(代訴人邸)(1-25)

    ポンピドゥー・センターの北側。エティエンヌ・マルセル駅の東。

  • フラン・ブルジョア街【rue des Francs Bourgeois】(当時の地図

    監獄に近い(1-26)

    バスチーユ広場の北西。ヴォージュ広場からポンピドゥー・センターの方角に延びている通り。

  • ペイエンヌ街【rue Payenne】(当時の地図

    神学校時代のアラミスが士官にからかわれた場所(1-26)

    カルナヴァレ館が隣接する通り。フラン・ブルジョア街にぶつかってます。

  • サン・ルー教会【église de Saint-Leu】(当時の地図

    ポルトスがミレディーとコクナール夫人に色目を使う(1-29)

    ウールス街の近く(1-29)

    エティエンヌ・マルセル駅の南にサン・ルー・サン・ジル教会っていうのがあるので、それかな。

  • ロワイヤル広場【place Royale】(当時の地図

    ◇高級住宅地。6番地にミレディーが住む(2-1)

    現在のヴォージュ広場です。バスチーユの北西。

    シャトレ監獄 ◇ここの正面入り口にそっくりな代訴人邸(2-2) 現存しないようです。銃士倶楽部会誌vol.51によりますと、パリ1区シャトレ広場に以前「シャトレ裁判所(グラン・シャトレ)」があり、セーヌ川を挟んだ対岸に「シャトレ牢獄(プチ・シャトレ)」があったそうです。
    グラン・ゾーギュスタン河岸 ◇ポルトスを呼びに行くのにダルタニャンが通る(2-4) シテ島の南。
    シャイヨ街道 ◇ボナシュー夫人の乗った馬車と遭遇(2-9) エッフェル塔の、セーヌ川を挟んだ対岸にシャイヨー宮っていうのがあるので、それと関係あるのかな。シャイヨー通りっていうのもあるんだけど(凱旋門の南東あたり)街道っていうカンジではないし。
    セーブル街道 ◇この街道の方からボナシュー夫人の乗った馬車がやってくる(2-9) ヴォージラール通りの北に平行して延びる長い通り。街道っていうカンジでもないけど…。
    フォーブル・サン・タントワーヌ ◇ラ・ロシェルへ出発する時、ダルタニャンはここまで行進した 後ろにバスチーユ(2-2) バスチーユの東のあたり。
    フェロンヌリー街 ◇アンリ4世が暗殺される(2-14) フォーラム・デ・アルのそば、イノサンの泉の南にある通り。
    ダンフェール街 ◇バッキンガム公に手紙を書くのに、ここの広場でお手合わせした者と名乗る(2-18) モンパルナス墓地の南東にそれっぽい広場(ダンフェール・ロシュロー)があるけど…。
    フォーブル・サン・ジャック ◇ラ・ロシェルから凱旋した国王、緑の凱旋門からパリ入り(2-38) ソルボンヌの間を南北に通るサン・ジャック大通りを南にずーっと伸ばしたあたり。

パリ以外の地名(覚書)

  • ベアルン【Béarn】

    ベアルン産の小馬(1-1)

    ベアルンの青年士官はだいたいお金とは縁がない(1-3)

    ガスコーニュの中でも南の地方

  • ダックス【Dax】/ポー【Pau】

    ダルタニャンの故郷として並べられた(1-5)

  • サン・ジェルマン【Saint-Germain】

    三銃士がダルタニャンを連れて散歩に行く約束をした。(byトレヴィル)(1-6)

    サン・ジェルマンの森へルイ13世が鹿狩りへ行った(1-6)

    ミレディーが馬車で向かう(1-30)

    10年後にルイ14世が誕生する新城(1-30)

  • セー橋【Pont-de-Cé】(畔の戦い)

    申し分のない勝ちっぷりの例え(1-6)
    [メーヌ・エ・ロワール県にある橋。1620年、マリー・ド・メディシスの率いる軍隊が息子のルイ13世に撃破された]

  • アミアンの庭【Amiens】

    バッキンガムが逮捕された(1-9)

    バッキンガム公がアンヌ王妃と会う(1-12)

    アミアンの大聖堂の庭

  • ラ・ロシェル【La Rochelle】/レ島【Ile de Ré】

    バッキンガム公が遠征や新教徒の同盟を計画(1-12)

  • トゥール【Tours】

    シュヴルーズ夫人が着いている頃(1-14)

    シュヴルーズ夫人が追放され、謹慎しているはずの町(1-15)

    ケティーが出かける(2-10)

  • ブーローニュ【Boulogne】

    バッキンガム公が着いている頃(1-14)

    ミレディーがイギリスからこの港へ向かう(2-28)

  • ルーアン【Rouen】

    アラミスが家事上の用向きででかけた(1-15)

  • ブルゴーニュ【Bourgogne】

    ボナシュー家の女中の郷里(1-17)

    パリの東南部、リヨンの北部に位置する地方

  • フォルジュの温泉【les eaux de Forges(Forges les Eaux)】

    ここへ湯治に行くのが四銃士の旅の表向きの理由(1-19)

    パリからほんの160キロばかりのところ(1-23)

  • フランドル【les Flandres】

    戦争がある場所の例えとして出る(1-19)

    (歴史的な名称として)旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域

  • カレー【Calais】

    ロンドンへ行くには、ここを通るのがいちばん近い(byダルタニャン)(1-19)

  • ダンマルタン街道【la route de Dammartin】

    シャンチイで会った貴族が通って来た道(1-20)

  • ノルマンディー【Normandie】

    ワルド伯爵の従者リュバンの生まれ(1-20)

    フランスの北西部、イギリス海峡に面する地域

  • シャンパーニュ州【Champagne】のトロワ【Troyes】

    ダルタニャンがここへ行ったとプランシェが嘘をつく(1-25)

    シャンパーニュはフランスの北東部、パリ盆地の東部。トロワはシャンパーニュ州の首都。

  • モンディディエ【Montdidier】

    ここの司祭とアラミスが神学上の議論をする(1-26)

  • ブルターニュ【Bretagne】

    出陣に必要な金をつくるために、ブルターニュの奥にある家まで行ってこようと思っている。(byポルトス)(1-29)

    フランス北西部のブルターニュ半島全体に位置するフランスの地域圏。首府はレンヌ。

  • ピカルディー【Picardie】のノワイヨン【Noyon】

    代訴人に会う際、ポルトスはここに住んでいるという設定(1-29)

    ピカルディーは、北フランス、ベルギーとの国境付近。ボーヴェー、アミアンのあたりの地方。

    ベアルン ダルタニャンはここの生まれ(2-10)
    シャルトルー よそへ行けばいいのに、ここへ出かけたとリシュリューに言われる(2-10)
    マント(の牢) ボナシュー夫人が修道院に移される前に居た(2-14)
    アンジェ パリへ行こうにもここに着く前に自分たちの身は牢屋だと考える(2-17)
    シャテルロー ロンドンへ行ったふりで、ここでぐずぐずしてるといけない(2-18)
    ロリアン/ブレスト ブルターニュの港 船長がミレディーに降ろすと約束(2-18)
    フィニステール(の岸辺) ブルターニュの西北端(2-19)
    ベチューヌ(アルトワとフランドルの国境) コンスタンスのいるカルメル派修道院がある(2-21)
    シュルジェール→モーゼ ラ・ロシェルの帰りリシュリューが国王のお供(2-20)
    リル ミレディーと首斬役人の出身地(2-35)
    タンプル・マール ミレディーはここのベネディクト会の修道院の尼さんだった。(2-35)
    ベリー ミレディーが首斬役人の弟と逃げる(2-35)
    ロレーヌ アラミス、ここを旅行後に音信普通(2-38)
    ナンシー アラミス、ここの修道院で僧服をまとう(2-38)
    トゥーレーヌ アトス旅行(2-38)
    ルーション アトス、遺産が入り軍籍を退く(2-38)


フランス以外

  • ロンドン【Londres】/イギリス

    ミレディーが向かう。(1-1)

  • マントヴァ【Mantoue】/イタリア

    リシュリューがヌヴェール公爵に援助を与える(1-14)

    ポーツマス/イギリス プランシェがフランスに向けて船出した日、ミレディーがこの港に入る(2-20)
    ボタニー・ベー(オーストラリア)/タイバーン(印度洋) ミレディーが流されそうになる(2-22)
    ロレーヌ/ベルギー ボナシュー夫人をベチューヌから移そうと手配(2-30)

ダルタニャン&ボナシュー夫人の辿った経路(1-10,11)

  • ボナシュー家を出る
  • フォッセ・ムッシュー・ル・プランス街【rue des Fossés-Monsieur-le-Prince】(当時の地図

    現在、「フォッセ」の付かないムッシュー・ル・プランス街なら、リュクサンブール宮殿北にあるオデオン駅の南にあり。

  • レシェル街(のそばにあるくぐり戸)【rue de l'Echelle】(当時の地図

    パレ・ロワイヤルの西、リヴォリ通りとサン・トノレ通りに交差してます。

  • <ルーヴル内へ>
  • <ダルタニャン家路につく>
  • フォーブール・サン・ジェルマンの大通り【faubourg Saint-Germain】

    サン・ジェルマンの修道院からリュクサンブール宮殿のあたり一帯を、フォーブール・サン・ジェルマンと呼んでいたようです。

  • アサス街【rue d'Assas】

    リュクサンブール公園の南から伸びて、ヴォージラール通りを交差する通りです。

  • アラミスの家
    カセット街【rue Cassette】と、セルヴァンドーニ街【rue Servandoni】の中間

    カセット街はヴィユー・コロンビエ街の近く。このセルヴァンドーニ街は、フォッソワイユール街と同じ。

  • <ボナシュー夫人を見つけ追いかける>
    フォッソワイユール街
  • <ダルタニャン帰宅、プランシェと会う>
  • <三銃士と待ち合わせることにする>
  • ポム・ド・パン【Cabaret de la Pomme-de-Pin】

    料亭。【パリの中の島にあった有名な料理屋】(1-7)

  • プティ・ゾーギュスタンの河岸【rue des Petits-Augustins】(当時の地図)づたいにポン・ヌフ【Pont-Neuf】橋へと登る

    今は残っていないもようです。もともと、プティ・ゾーギュスタン(現在の国立美術学校)とグラン・ゾーギュスタンと言う二つの修道院があったそうです。グラン・ゾーギュスタン河岸(シテ島の南側)のそばにグラン・ゾーギュスタン修道院があり(現存せず)、グラン・ゾーギュスタン修道院とドーフィーヌ通りの間にプティ・ゾーギュスタン通り(河岸?)が位置していたそうです。(Romiさんmerci!)

  • <ダルタニャン、ボナシュー夫人とバッキンガム公に遭遇>
<ルーヴル内へ>
  • ポム・ド・パン【Cabaret de la Pomme-de-Pin】

    料亭。【パリの中の島にあった有名な料理屋】(1-7)

ボナシュー氏連行経路(1-13,14)

  • 地下牢
  • サン・ポールの広場【Saint-Paul】(当時の地図

    バスチーユの囚人を処刑する場所

    サン・ポール教会の広場のことか?ちなみにバスチーユからサン・タントワーヌ通り沿いにサン・ポール・サン・ルイ教会というのがありますが、当時のサン・ポール教会はサン・ポール通りを挟んだ反対側にありました。(旨樫いさこさんmerci!)

  • グレーヴ広場【la Grève】(当時の地図)/市庁【hôtel de ville】の屋根

    パリ市庁舎の前の広場がもとグレーヴ広場だそうです。

  • クロワ・デュ・トラオワール【Croix-du-Trahoir】(当時の地図

    身分の低い罪人を処刑する場所

    サン・トノレ通りとアルブル・セック通りの交差点です。現在は小さな泉になっているそうです。(Romiさんmerci!)

ダイヤの房飾り追っかけ旅行(1-20,21)

  • シャンチイ【Chantilly】「旅籠屋サン・マルタン」

    ポルトスを置いていく

  • ボーヴェー【Beauvais】

    アラミス肩を撃たれ、ムースクトン腰の下を撃たれ落馬

  • アミアン【Amiens】「金のユリ【Auberge du Lis-d'or】」

    アトス、にせ金のぬれぎぬ、グリモー、馬方たちに熊手で頭を割られる

  • ピカルディー【Picardie】

    プランシェの郷里

    北フランス、ベルギーとの国境付近。ボーヴェー、アミアンのあたりの地方。

  • カレー【Calais】

    カレー街道をはずれたところで、ワルド伯爵に胸を刺される(1-23)

  • <イギリス【Angleterre】へ>
  • ロンドン【Londres】・バッキンガム公爵の館
  • 11,2キロ離れた沼地
  • <バッキンガムに会う>
  • ロンドン【Londres】・バッキンガム公爵の館
  • 2本マストのサンド号【brick Le Sand】
  • <フランスへ>
  • エクイ村【village d'Ecouis】「フランスの楯【Ecu-de-France】」
  • <パリへ>
  • トレヴィル邸

三銃士を迎えに行く旅(1-25〜28)

  • 旅籠屋「サン・マルタン」/シャンチイ【Chantilly】

    44キロ飛ばしてきた

    ポルトス(2階の1号室)

  • クレーヴクール【Crèvecoeur】の居酒屋

    シャンチイから31、2キロ

    アラミス(3階の5号室)

  • アミアン【Amiens】「金のユリ」

    アトス(酒蔵→宿でいちばん上等な部屋)

  • クレーヴクール
  • アミアン街道
  • パリ

ラ・ロシェル戦へ(2-10〜16)

    サン・マルタン要塞/ラ・プレ小堡塁 トワラ伯が兵を退却させる
    ヴィロック ラ・ロシェルへ向かう途中国王が発熱し滞在
    ミニーム(の修道院) デ・ゼッサール隊が宿泊
    アングータン村(に通じる小道) ダルタニャンが散歩の途中、ミレディーの手下に狙われる
    ヴィルロワ ここに滞在している三銃士からダルタニャンに偽手紙が届く
    ルイ/ヌフ堡塁 国王が到着したとき砲声が鳴る
    ラ・ルウー〜ドンピエール バッソンピエールの陣
    ドンピエール〜ペリニー アングーレーム公の陣
    ペリニー〜アングータン ションベールの陣
    ドンピエール 王弟殿下
    エトレ/ラ・ジャリー 国王
    ラ・ピエールの橋(の近くの砂丘) リシュリューの陣
    エギュイヨン岬 沈没した小舟の破片で埋まる
    ラ・ジャリー街道 赤鳩亭がある
    ボワナール村 ここから1キロほどのところで、三銃士がリシュリューに会う
    シュルジェール リシュリューの供の者がパリへ向かう際この方向へ
    シャラント(の河口)/ラ・ポワントの堡塁 ミレディーの乗る船が待っている
    サン・ジェルヴェ(の要塞) 四銃士がここで食事をするという賭けに勝つ 赤鳩亭との距離は8キロほど

ボナシュー夫人捜索(1-30〜35)

<ミレディー> <ローシュフォール> <四銃士>
ポーツマス

ブーローニュ

サン・トメール

リリエ
ラ・ロシェル





リリエ
ラ・ロシェル

サン・ジェルマン




ベチューヌ
アラス
フェスチュベールベチューヌ

フロメル












パリ
フェスチュベール

フロメル

リーシュブール

エルリエ

フロメル

ゴスカル

アンギャンゲム
アルマンティエール